大学に入学して中退して入学して中退して再入学した

この記事は 退学 Advent Calendar 2018 の2日目の記事です。

 

自己紹介

早生まれの26歳
広汎性発達障害ADHD
現在都内の私立大学英文科3年生

 

生い立ち

中学生のころ自分がADHDなのではと思い母に精神科を受診したい旨を伝えるも取り合ってもらえなかった。
塾に通い始めてから英語が得意科目だと認識する。
高校では数学が全くできなかった。日本史も。
大学受験では直前の模試がE判定だった大学のA日程を受け、英語のディクテーションで撃沈し不合格。B日程でひたすら英作文を書いて、なんとか現役で滑り込む。

 

大学入学後

  • 1年次

取得単位数35。
必修は落とさない程度に出席して落としたのは二外のドイツ語1つ。
般教はぼろぼろ落とす。
周りの人たちはだいたい50単位くらい取ってた。この辺で劣等感が芽生える。

  • 2年次

取得単位数2。

ガイダンスは出たけどそれ以来学校に行けなくなってしまった。

心が折れてしまったのかな。

夏に集中講義で2単位取得。

当時付き合っていた現在の夫に精神科の受診をすすめられる。

クリニックでIQ検査を受けた。

全検査IQ108、言語性IQ115、動作性IQ98。

言語理解120、知覚統合101、作動記憶102、処理速度92。

発達障害と診断されたものの、当時は治療薬もなくデイケアに誘われて、「デイケアに行くくらいなら大学に行ってるよ」とか思って通院をやめてしまう。

診断がおりてほっとした気持ちと受け止めきれない気持ちでぐちゃぐちゃだった。つらかった。

  • 3年次

クリニックで診断書を書いてもらって大学に提出して配慮してもらいながらの再起を企てる。

大学のカウンセラーに相談した。

ゼミの教官にも話した。

でも、私が受けるべき配慮って?私って何ができて何ができないんた?

わからなかった。

結局またガイダンスだけ受けて、ゼミでは自己紹介だけ書いて、学校に行けなくなった。

再履修のドイツ語の授業中、劣等感が押し寄せてパニックで泣いてしまい途中退室したこともあった。

結局前期まで在籍し、夏休み中に母が退学の手続きをした。

  • なぜ休学しなかったのか

当時この大学は休学しても籍を置くのに学費の半額程度必要で、踏ん切りがつかなかった。

休学したところで復学できるとは思えなかった。自信がなかった。

地元に住んでいる親と上手くコミュニケーションをとれていなかった。

このころの母は私の障害を一切受け入れてくれなかった。つらかった。

そんなわけで本当は休学したいとほんのり思いながらも言い出せないままに、親に何を言われても「大学辞める」と言っていたら、いつの間にか母が大学で退学の手続きをしたことを後に聞かされた。

 

退学してから

引きこもって毎日泣いていた。

あんまり思い出せない。

入籍した。

通院を再開しコンサータなどを処方される。

生活が少しまともになった。

何かのきっかけで小説『アルジャーノンに花束を』に興味を持つ。

昔から読書というかフィクションが嫌いで読書経験はほとんどなく、辞めた大学でも英文科ゆえ授業で物語を読まされるのが苦痛で仕方なかったのだけど、このときは夢中で読み進めた。

読み終えて思ったのは「原文ではどういう文体で書かれているのだろう」ということだった。

ルビーブックスだけど、英語で書かれているものを買って全部読んだ。何回読んでも英語で読んでも泣いてしまうね。

日本語訳も素晴らしいなあと思って訳者を調べたら辞めた大学の、それも同じ学科の卒業生だった。

誇らしい気持ちもあるけど私は中退だし、と思って複雑だった。

このときから読書に目覚めて、特に名作や古典と呼ばれているものをたくさん読んだ。

ドストエフスキーが特に面白かった。

長編は挫折してしまったけど、『地下室の手記』とか『永遠の夫』が良かった。

でも読書をしているとき、特に海外文学を読んでいるときにしばしば知らない言葉や分からない概念に出くわした。

自分がいかに物を知らないかを思い知らされる作業でもあった。

それがつらくて勉強を始めることにした。

最初は完全に独学でやろうとしたけど、どうにも効率が悪い。

そこで色々調べるうちに通信制大学という選択肢にたどり着いた。

 

通信制大学時代

入試というものはなく、学費も廉価でほとんど通学しなくていいので、勉強から離れていた専業主婦の私にはちょうどいいと思った。

書類を書いて無事入学することができた。

たくさんのテキストが届いて、大学の図書館も使えるようになって、コスパもいいし最高の環境だな、という感じ。

二外はあえていわくつきのドイツ語を選んで克服することにした。

このときレポートの書き方というものを初めて勉強した。あんまり身に付いてないけど。

夏が来てスクーリングに通うことになった。

久しぶりの授業。

とっても刺激を受けた。

やっぱり独学よりテキスト学習より授業を受けた方が効率的なんじゃないかと思い始めた。

フィードバックの有り難みをひしひしと感じた。

わからないことを聞いてすぐに返事を貰えるのって素晴らしい。

今さら通学の大学を一般で受験するのは厳しいけど、編入とか、何か方法がないかと調べたときに知ったのが再入学だった。

辞めた大学のWebサイトを見る。

あんまり詳しく書いてなかったけど、特に退学後○年以内などの制限はないようだった。

このときはあまり本気で再入学できるなんて考えていなかった。学費はどうするのって話もある。

それでも今の私なら、勉強の楽しさも読書の面白さも知ってる今なら、通学もできるんじゃないかと考えた。

なにより、私の生活は投薬治療を始めて大きく変わった。

今ならコンサータがある。

ぼんやり通学を夢見ながら暮らしていたある日、私達夫婦は離婚の危機を迎える。

ついに夫に別れてくれと言われてしまった。

何年も一緒にいた人だから、それなりに悲しいけど、私に非があるし、仕方ないか、と思う一方で、第二の人生の始まりを喜ぶ自分がいた。

次の日、早速辞めた大学の教務課に電話して再入学したい旨を伝えた。

どうやら私はA4の紙を提出して教授会で許可が降りれば再入学できることがわかった。

学費は親がなんとかしてくれるだろうと考えた。

結局離婚には至らなかったのだけど、私は辞めた大学に戻る気満々になってしまっていて、夫にそこは譲れないと説明し了承を得た。

書類を揃えて再入学を申請し、難なく許可が降りた。

3月、二度目の中退をした。

 

辞めた大学に再入学してから今まで

3年次再入学という扱いになった。

単位は以前在学していたころの分を引き継いで入学することができた。

3年の前期で辞めたので残りの在学可能年数は5年半ということだった。

再入学の入学金は半額の10万円。

学費のすべては親が出してくれることになった。

このころになると親との関係も良好になって、過干渉だった母も丸くなり、私の障害も受け入れてくれているようだった。

入学前、ひとつ気になったのは履修上限のことだった。

昔は66単位まで履修できたのに、今はどうやら48単位らしい。

教務課に相談したところ、上限をなくす方法が三つあって、一つ目が教職課程をとる、二つ目が日本語教員養成課程をとる、三つ目が副専攻をとるというものだった。

教職はちょっとハードだし、日本語教員は興味がないし、と思って副専攻の翻訳コースをとることにした。

授業が始まってからは忙しい日々を送ることになった。

1年のドイツ語ひとつと2年の必修すべてと3年ゼミと副専攻の必修3科目で、通年の必修科目が13コマになった。

必修はどれも少人数の演習授業でほとんどの授業で毎回予習か課題をしなくちゃいけなくて、通学に2時間近くかかる主婦の私は勉強と家事が生活の全てで、遊ぶ暇なんてなくなってしまった。

それでも授業で学ぶことはたくさんあったし通学できることに幸せを感じていた。

それが一学期の話。

そのころ夫は通勤がしんどくてしんどくて、職場の近くに引っ越そうということになった。

引っ越し予定日は夏休みに入った直後だった。

私はADHDということもあり、部屋が大いに散らかっていて物が溢れて、途方に暮れていた。

夫は激務で頼れなかった。

期末テスト期間は予習や課題が無いので引っ越し準備には都合が良かったけど、休むわけにはいかないし、とにかく忙しかった。

今思えば無理をしすぎていた。

夏休みの課題は当然のようにいくつかの授業で課された。

レポートだったり、英作文だったり、長文翻訳だったり。

遊び呆けて英語をサボらないようにと言っている先生もいた。

ぼんやりしているうちに夏休みが終わった。

荷解きはほとんどできていなかった。

課題はひとつも手をつけていなかった。

それどころか大学に通うことすら満足にできなくなってしまった。

引っ越して通学時間はそんなに変わらないものの、行きも帰りも必ず1時間は座れるようになったのに。

課題を出せていない後ろめたさもあった。

とりあえず課題を出していない状況をなんとかしようと思って学内のカウンセラーに相談することにした。

あとで私の過去の相談記録を調べてもらってわかったのだけど、昔相談したときと同じ人だった。いやあ偶然。

私がこの大学から離れている間に、障害をもつ学生を支援する委員会組織ができたらしい。

ここ数年で発達障害が広く認知されたということもあり、昔より支援できるだろうと言われた。

確かにそれはとても有難いことで、委員会を通して支援をあおぐことができるのは心強い。

でもやっぱり、何をどう配慮してもらえばよいのかわからなかった。

とりあえず、副専攻の必修は再履修できないという決まりがあるのだけど、来年度再履修できないか頼んでもらうことになった。

課題のいくつかは先生と相談して期限を遅らせてもらった。

それなのに今まともに出席してる科目はたったの2つしかない。

その2つも最後まで通える自信がない。

カウンセリングも行かなくなってしまった。

何が悲しいって、勉強が嫌になってしまったこと。あんなに意欲に満ちていたのに。

本を読めなくなってしまったこと。読もうとしても内容が頭に入ってこないし興味もなくなった。

高い学費が無駄になってしまうこと。お父さん、お母さん、ごめんなさい。

辞める気は無いのだけど、卒業はいつになるやら。

来年度は持続可能な学習計画を立てようと思う。

4月までに、精神を整えます。

 

大学がつらい人に伝えたいこと

だめになる前に、自分一人でどうにかしようとせず、周りの人間に、然るべき機関に、早めに相談しましょう。

頼れるものは頼りましょう。

なにか解決の糸口が見つかるかもしれません。

私はいつも気づいたら手遅れでした。

 

書き終えて

いつか人生が立て直せたり卒業が見えたら参加しようと思っていた退学 Advent Calendar、卒業の見込みはまるでないけど我慢できませんでした。

内容が中途半端になって申し訳ないです。

この記事のためにはてなブログを作ったのだけど、また気が向いたら何か投稿しようかな。

ここまで読んでくださった皆様、ありがとうございました。